2005年9月3日
2009年1月26日 修正
近頃は、自らや社会の将来に関して、悲観的な見方をする人が少なくない様です。そして、残念なことに、それは荒唐無稽な妄想などではないのであり、ある程度は裏付けのある見方だという事がわかります。
地球という規模において、経済的な混迷、環境問題、宗教や利権絡みの紛争・テロ、核の脅威などの問題が、国内においては、少子高齢化の進展、失業率の上昇、凶悪犯罪の増加などの問題が生じています。そして、個人の問題として、精神の荒廃、ストレスの増大などの問題があり、それらを主な原因として、児童虐待などの様々な事件が発生しています。
この事について考えますと、地球や国家という規模における混乱が個人を苦しめている一方、逆に、個人における心の問題が、社会的な問題を引きおこしてもいる、という事がわかります。つまり、両者の間には相関関係がある、という見方をする事ができるのではないでしょうか。
その様な状況の下、困難な問題に直面し、生きることを諦めて自殺してしまう人々が存在します。国内においては、毎年、一年間に三万人以上の自殺者がいるのであり、一日あたりに換算すると、毎日、百名近くの人々が、もう生きていけない、耐えられないと感じ、自らの命を絶っているのです。
将来に関して悲観的な見方をする人々は、様々な理由があり、そういう見方をするのだと思います。そして、大局的な見地に立つと、現代社会が、段々と人間にとって生き難い環境になって来ているのではないか、それが一つの大きな原因になっているのではないか、その様に私は感じます。ストレス社会の影響もあり、学校や会社で行き詰まっていく。そうして、将来に希望を見出せなくなる人々が出て来るのではないでしょうか。
そして、その根底には、唯論的、そして、利己主義的な価値観の浸透があるのであり、その様な価値観が、私達に、好ましくない影響を与えているのではないでしょうか。
現代日本人の宗教観・死生観は、とても不確かなものです。伝統的な仏教団体も、宗派ごとに、輪廻転生や死後の世界について、その見解は様々です。
自ら命を絶った人々も、死んだ後に、自らの意識が存続するのか否か、判然としないまま、命を絶たれたのではないでしょうか。それは、本当に悲しむべき事であると共に、その様な現状にこそ、現代の日本において形成されている価値観の罪悪があるように思うのです。
ある世論調査(読売新聞9月2日付)によりますと、宗教を信じている人は全体の23%であり、反対に、75%の人々は信じていないのだそうです。そして、 60%の人々は宗教が大切でないと感じているとのことでした。その一方で、54%に達する人々が、神や仏にすがりたいと思ったことがあり、しかも、宗教を信じていないにもかかわらずすがりたいと思ったことがある人が、47%もいるのだそうです。
テレビのバラエティ番組は、興味本位で心霊スポットや超能力の番組を放送します。しかし、それらは霊的世界の表面を扱っているだけなのであり、本当に大切な事は、何も伝えていないのです。
多くの人々が、一生に一度くらいは心霊体験をするのだそうですが、そうすると、「なんだか訳のわからない、祟りみたいなものがあるみたいだ」と感じ、神社やお寺にお祓いを受けに行ったりします。しかし、例え、お祓いを受けたとしても、当人の考え方や価値観は何も変わらないわけです。現代的な価値観を有したまま、問題が起きたということで、解決策としてお祓いを受けに行きます。
そういった、心霊スポットに行ってひどい目にあったり、幽霊らしき人影を見たり、夢現の意識があやふやな様な状態のとき、例えば、目覚めの直前に人の声を聞いたりします。それは、実際には霊的世界と接点を持ったことにより生じた体験なのですが、多くの人々は、その様な知識を全く持たないまま霊的世界と接し、何も得ることなく体験を終えているのです。それは、一つには、とてもよい機会を逃してしまった事を意味します。
現代において、私たち日本人が、カルト的な傾向を有する団体から影響を受けていること、それも、私たちを迷わせる一つの原因なのではないでしょうか。信者を多く獲得する、お金や権力を集める、欲望を満たす、カルト的な団体のその様な方針(建て前はともかく実質的な)は、信仰することの本来の目的であるはずの、心の支えや安らぎ、精神的な豊かさ、といったものとはかけ離れたものです。信仰とは、個人個人の、心の在りようの問題なのではないでしょうか。
霊的な世界についても、まるで街頭の周りに虫が群がる様に、その周辺を怪しげな存在が蠢いている、という現状があります。誤った内容の本が公然と販売され、本当の知識を欲している(真理を求めている)人々を、カルト的な団体が取り込む、ということが行われているのです。霊的な事物(心霊治療、団体、書籍)の真偽を判断することは、霊的知識の乏しい状況下においては非常に困難なことです。
しかし、仮に、将来に希望が見出せない様な境遇におかれていたとしても、霊障に苦しんでいたとしても、その様な知識を得ようと苦心している最中においても、カルト的な団体に入信してはならないのだと思います。思考停止に陥り、大切な問題に目を向けなくなることと、問題が解決されることとは違うのです。新しい知識や考え方に対しては、思考力を働かせ、そのれが本物かどうか取捨選択した上で、摂取して行かなければならないのではないでしょうか。
私には、この世とあの世の壁が取り払われた部分があるのかどうか、ここだけの話、霊の声が聞こえます。聞こえはじめた当初は、罵詈雑言を浴びせられ苦しめられたものですが、現在において、苦痛は少しもありません。一人で部屋にいる時に、「こんばんは」と話しかけられたことがありました。その人は、そこに肉体を有していないだけなのであり、肉体を持った人に話しかけれるのと同様に、話しかけられたのです。そして、その際も、何も苦しいことはありませんでした。
しかし、また、程度の低い様な霊に苦しめられる機会が皆無であるわけではありません。その様なことは、決まって、私の興味が低い方向を向き、心境の低い様な状態の時に生じます。反対に、高い心持ちでいる時は、とても清浄な印象を受ける霊に話しかけられることがあります。それは、自分の心境に相応しい霊が感応するので、その様になるのだそうです。つまり、心境の低い人間には低俗な霊が、それが高い人間には高潔な霊が、それぞれ、感応するということです。その事が理解できたならば、自分にとってどの様な状態が望ましいのか、どの様にすれば好ましい状態へ移行する事ができるのか、その道程が理解できるでしょう。
肉体を失うことにより、つまり、死ぬことにより、私たちの意識は消滅しません。私たちの心は、永遠に存在し続けるのです。私達が今を生きているこの世界は、いわば、魂の訓練所なのであり、実は、その外には、深遠な世界が存在しているのです。
私達は、大体において、子供の頃に、この世の中が不平等であるように感じ始めます。環境も、身体も、才能も、平等ではありません。しかし、実は、平等な機会が与えられているのです。この世の中だけしか存在しないと考えると不平等ですが、死後の世界の存在に気付くことにより、実際は平等なのだということが理解できるようになります。
現代の社会において、正直であったり、親切・誠実である、コツコツと真面目に努力している人は損であるという、"正直者は馬鹿を見る"的な価値観が、人々の意識に浸透しています。しかし、霊的な知識を得ると、その様な傾向は、結局、報いのある、好ましいものなのだと理解することができます。
この世の中では、利己的な考え方に支配されている人々と、利他的な傾向のある人々が、同じ世界に共存して生きています。しかし、霊の世界においては、魂の成長程度が違う為に、彼らは、同じ世界に住む事ができません。霊の世界では、心的な境地の近い人々が、同じ世界で暮らしているのです。つまり、博愛的な行為を実践しながら亡くなった人は、同じように優しく親切な人々と、人を騙し続けて死んだ様な者は、同じ様な詐欺師たちと、低俗な欲望に溺れ続けて死んだ者は、同じ様な亡者たちと、仲良くできるかどうかは別として、一緒に暮らすことになる、という事です。
私が、とりわけ、ここで書いておきたいことは、今生きているこの世界が全てではないぞ、ということです。この世界が全てであり、しかも、人間が唯物的な存在であるならば、人を殺しても、騙して金を巻き上げても、露見しなければやりっ放しです。仮に、その様な罪を犯したとしても、死んだら存在しなくなるのですから。しかし、実際は、この世界は深遠な霊的世界の一部分なのであり、魂を磨き上げるための訓練所としての役割を果たしているのです。原因には必ず結果が伴うのであり、人を殺したり、騙したり、苦しめるようなことをしたら、必ずその責任を取らされることになります。そして、反対に、人のために尽くすような人は、その見返りを必ず受け取ることができるのです。
苦しい経験をしても、悲しい体験があっても、それは、魂を磨き上げる為の試練なのです。霊的な知識を有していなくても、立派な業績を残される方はたくさんいます。しかし、現代における日本人の多くは、何を信じて生きていけばいいのかわからずに、彷徨している様に見えます。そして、それは宗教観・死生観に対する認識にも反映されているのではないでしょうか。私は、その様な、迷っている人々には、自らの内面、つまり、心に目を向けて欲しいと思います。
例えば、霊界通信、自然の法則という方向から、自らの内面と向き合う為には、とても読みやすく理解のしやすい「シルバーバーチの霊訓」シリーズを読み、それを理解して行く事をお勧めします(『古代霊は語る』は、シルバーバーチの霊訓十一冊のエッセンスを一冊にまとめた本です)。また、ギリシア・ローマ精神という方向から向き合うのであれば、ローマの哲人セネカの著書『ルキリウスへの手紙/モラル通信』を、仏教や禅という方向から向き合うのであれば、道元禅師の説教の記録である『正法眼蔵随聞記』を、それぞれ、お勧めする次第です。なお、「スピリチュアル・ブックス」というサイトでは、シルバーバーチの霊訓を含む主な霊界通信の全文が公開されています。