2006年5月28日
2009年3月4日 修正
はじめに
今回は、第二回目ということで、エマニュエル・スウェデンボルグ『スウェデンボルグの霊界からの手記』の内容に沿って進めていきます。まず、著者の人物についてから書きはじめていきますと、著者は、17世紀後半から18世紀後半を生きたのですが、スウェーデン生まれの家柄のしっかりとした出自であり、更に、その著作物からは、誠実な人柄と執筆に対する姿勢が感じられるのでした。それで、私には、信頼のおける著者である様に感じられるのです。
著者の生い立ちについて、具体的にみていきますと、著者の父は牧師であった、という事が、一つのポイントである様に見えます。彼は、若くして大司教にまで出世した人物なのですが、大学の神学教授も務め、著者の家庭は、貴族の末席にまで加えられます。そして、その大司教になった著者の父は、それまで存在しなかったスウェーデン語の聖書を出版した“愛国者”でもあったとのこと。その様な人物が父として存在する家庭に、著者が育った事は、一つ、少なからぬ意味を有していたのだと思います。
一方、著者自身については、大学卒業後、イギリスへの留学を希望し、それを実現します。しかし、その事について、父の立場からは、息子が“下賤で俗物的な科学”なんかにかぶれたのに我慢がならなかったのだそうで、この様なところに、当時と現代の間における、価値観や考え方についての大きな隔たり、時代の移り変わりの様なものを感じさせられます。現在は、21世紀の初頭にあたるわけで、既に感情移入することの難しい一面が、当時を生きた人々との間には存在するのではないでしょうか。
私なぞが、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を読みましても、この小説は、未来において階級社会が成立していると仮定しての、社会風刺SF小説なのですが、著者の執筆当時(1932年頃)と現代においてでは、読者の、登場人物に対する見解が異なっているであろうことがわかります。つまり、物語中において、執筆当時の社会における価値観を代理する登場人物と、未来の社会におけるそれを代理する登場人物があらわれるのですが、この両者に対する見方が、執筆当時と現在においては、異なっているという確信が、私にはあるのです。それは、およそ70 年間に、読み手自身の精神性や価値観が変わってしまったからなのであり、当時は当たり前であった価値観が、現在においては、必ずしもそうではない面が生じて来ているわけです。それが、二世紀以上前となりますと、更にそのギャップは大きくなってしまうわけで、感情移入するという点においては、なかなか難しい面があるのではないでしょうか。
話を戻しますと、結局、著者はイギリスに渡ります。留学先においては、ニュートンをはじめとする、当時の一流の学者と親交を結び、教えを乞うことができたのだそうで、この様な経験は、本人とって、非常に大きな刺激となった事が想像できます。実際に、帰国後は、スウェーデンにおける最初の科学雑誌を創刊したり、科学書・数学書を著作したりと、とても精力的に活動します。彼は科学者であり、鉱山技師でもあり、貴族院議員でもあったのですから、例えば、湯川秀樹氏が国会議員になった様な状態を想像したりしますが、更に、彼は貴族でもあったわけです。
その様な著者が、あるきっかけを原因として、その後の人生(約三十年間)を、霊的な世界への探求の為に注ぐことになります。著者は、生きながらにして霊的世界に出入りする術を修得し、様々な時代の、様々な境涯の霊と交流する“霊的生涯”を送り、その体験を元に『霊界日記』をはじめとする、膨大な量の著書を執筆されたのであり、そのおかげで、現在においても、私たちは、出版されている彼の著書を読むことができるわけです。
著者は、霊と交流することにより、旧約聖書に記述されているところの“アダムの時代の人間の生活”を知ることも、それ以前の時代の人間の様子を知ることもできたと書き記しています。この様な事は、驚くべき事ではないのでしょうか。18世紀頃を生きた著者が、霊的世界を出入りする術を修得し、最初の頃の人間の様子を知ることができた、そして、それを21世紀に生きている私たちが、読み、その内容から学ぶ事ができるわけです。
それでは、今回は、『霊界からの手記』の内容に沿い、“私たちはいかに生きるべきか”のヒントを得るべく、順を追ってふれていきたいと思います。
幸福な状態が実現されていた黄金時代(アダムの時代)
著者によりますと、この黄金時代において、人間にとって最も幸福な状態が実現されていたのだそうです。具体的には、彼らの社会においては職業的な宗教家や統治者は存在しなかったのですし、彼らは、他人を支配するとか、必要以上に罪を蓄える様な事を全く知らなかったのです。著者は、「霊→心→肉体感覚→肉体のすべての間での流れ(生命の流れ)が、上からも下からも妨げられることなく、スムースに流れること」が幸福な状態だと定義していますが、その様な状態が、この時代においては実現されていたのです。そして、それは霊的な面にばかり偏ったものではなく、実際の生活として、バランスの取れたものだったのだそうです。
私は、この当時の人々は、自然と非常に近いところで生活していたのだな、という印象を受けました。自然を破壊するのではなく、自然と共生していた。そして、人間同士の間でも信頼と協調が当然の様に存在し、人間個人は心身共に健康だったのであり、精神的に満たされていた。それでは、そのアダムの時代に実現されていた「幸福な状態」は、どの様にして失われていったのでしょうか。
その前に、この時代における、子どもの教育の仕方について、ふれる事にします。
この時代においては、大人はみな、霊的なレベルにまで達していたので、子どもの教育においても、そのレベルまで到達させることが大切であったのだそうです。それは、霊的レベルに達しているか否かが、大人と子どもの違いであるという面があったからであり、達していない者は、一人前とは認めてもらえなかったのだそうです。この様な形の教育は、現代におけるそれとはかけ離れていることがわかります。そして、当時の人々から見れば、現代人の大多数は、例え肉体は大人であっても、精神的には未熟であるわけです。その様な、未熟な大人たちで現代社会は成立しているわけですが、この当時においては、大人はみな霊的レベルに達していたのであり、子どもに対しても、同じレベルに達する為の教育が行われていたのです。
失われていった能力について
楽園のアダムたちの心がどんなものだったかを理解するために、まず必要なのはいくつかの基本的なカギをはじめに知っておくことである。また、現代のわれわれの心と比較対照しながら理解しないと、われわれにはよく理解できない。その意味で最初の基本的なカギになることをはじめにいっておくと、次のようなことが挙げられる。
①彼らの知覚能力は根本的に現代のわれわれのものとは違っていた。かれらのそれはわれわれのものよりはるかに広く、かつものごとの深い意味を理解できるものであった。
②彼らの心は直接的に「天の理」に通じていた。
③意思と認識の分裂は彼らにはなかった。
④自己愛、物質界に対する愛は彼らにはなかった。
(『スウェデンボルグの霊界からの手記』<下>、73頁)
この時代の人々は、知覚能力に優れた面があり、私たちよりも、はるかに広く、そして、深く、ものごとを知覚することができたのだそうです。その一方で、現代人は、知的、物質的にしか、ものごとを知覚することができなくなってしまっています。それは、どうしてなのでしょうか。著者は、その原因について、人間が利己的になり、物質的な事柄に心を奪われていった、つまり、段々と人々の内面が堕落していき、霊的な世界を含む、あらゆる要素を認識した上で物事を理解しなくなっていったからであると主張します。
例えば、直観力という面において、動物には、野草に毒があるかどうか、それを見分ける、本能的な能力を有しています。それを識別し、無害なものだけを食べるわけです。しかし、人間には、そのような能力は備わっていません。私なぞは、その様な状態が当たり前だと思っていたのですが、かつては、人間にもそのような能力があったのだそうです。その様であったのが、時代の移り変わりとともに失われていったとの事で、この様な経緯からも、現在に至る、人間の「利己的」「唯物的」な傾向は、私たちの感覚にとってマイナスに働いていることがわかります。
そして、当時の人々は「天の理」、つまり、霊的真理と直接に通じており、物質的なものに最終的な価値を認めなかったのだそうです。見るものや聞くもの、すべてに霊的な意味を感じることができ、彼らにとって、天国に行くということは、地上世界と大して変わらない世界に行くことに過ぎなかったとのこと。現代の霊能者が有しているような霊的能力について、当時を生きた人々は皆が有していたことがわかります。それ程に、人々は霊的真理に精通していたのであるし、偏りのない生活をしていたのでした。中野孝次『清貧の思想』においても、戦前の市井の人々は神仏を信じており、誰も見ていないところでも悪いことをすることはいけないとわかっていた、と書き記されています。それは、少なからず霊的真理と通じた状態であったのであり、現在とは相違のあるそれであったのではないでしょうか
次に、彼らは“意志と認識”が一致していたのであり、真実と善とを知っていたのではなく、実際に、それを生きていたのだそうです。現代を生きる私には、それをイメージすることは難しいのですが、「善」と「真実」は彼らにとって空気のように当然の存在だったのであり、彼らの語る言葉は真実のみ、行いは善のみだったのであり、それ以外の状態を知らず生きていたのです。そして、認識においては現代人のような思弁的思慮が無く、物事の本質をストレートに認識できたのでした。意志と認識が一致しているが故に、善を認識することは、善を生きることと同じ事だったのです。
“意志と認識の一致”については、いささか、理解に難しい面がある様に見えます。私たちは、事物を認識し、その結果、ある行為をしようと意志するのですが、その様な状態は“認識と意志がふたつに分裂した”それなのだそうです。例えば、善に関して、これが善だと認識しても、必ずしもそれだけでは意志から行動へのプロセスが生じない、つまり、認識したとおりに行動をしないケースもあるわけで、この様なケースが、分裂した状態に該当するのかも知れない、と考える次第です。具体例を挙げますと、通勤・通学電車の中で、座席に座っていて、前に老人が立っていても席を譲らないケースというものがあります。これは、アダムの時代の人々であれば、当然席を譲るわけですが、私たちは、席を譲ることが善だと“認識”しても、恥ずかしいなどの感情、つまり“思弁的考慮”に邪魔され、“認識と行為”が一致せず、席を譲らないことが少なからずあるということです。この様な例から当時の状況をイメージしてみても、当時の社会は、まるで天国そのものの様であったと想像する事ができます。
幸福と快楽の違いがわからない現代人
著者は、「幸福」と「快楽」の違い、「本当の美」と「ただのきれいさ」の違いについても、記述していますが、現代人の中で、それを正しく認識している人がどれ程いるのでしょう。著者は、肉体感覚を喜ばすだけの「快楽」や「美」は幸福につながらないと主張します。それは、中野考次氏の思想にもつながってくるそれですが、いくら金銭をため込んでも、いくら外見をきれいに着飾っても、内面的なもの、つまり、精神性が貧しければ、充足感を得ることはできないということです。
人間が堕落していった原因とは
アダムの時代の人々は“意志と認識”が一致していたのでした。それが、人々が“利己的”になり“物質的”な方向へ関心が偏っていくことにより、段々と、霊的な知覚が失われていってしまったという経緯があったのだそうです。そして、その結果として、現代人がその様であるように、人間の“意志と認識”は分裂してしまったのであり、その事は、一つのポイントなのではないでしょうか。更に、善悪という見地に立ちますと、善の中には“高い善”と“低い善”があり、時代の経過と共に、人々が徐々に“ 低い善”を選択しがちになっていったという経緯があったのであり、その事が、結果として悪につながっていったのだそうです。“意志と認識”の一致した、アダムの時代の人々は、いわば”真・善・美”をそのままに生きた状態であったのが、後の時代の人々は、徐々に霊的知覚を失い、“意志と認識”は分裂してしまった。そして、人々と霊的真理との間に乖離が生じると共に、善の中でも“低い善”を選択する機会が増えはじめ、それが繰り返される事により、人々の精神性が低下していったという事です。
その様な経緯を経て、最終的には落ちるところまで落ち、“意志と認識”の、認識の方まで歪めてしまったのだそうです。認識を歪めるとは、真実を、自分に都合のよい様に解釈するようになる、ということです。つまり、真実は、その時代における価値観に左右されないものであるのに、それを歪めて“真実からかけ離れた事実”を作り上げてしまうのです。例えば、「価値のないものに価値があると信じ込む」「美しくもないものが美しいと感じる」「よくもないことをよいことだと認識する」様な状態であると想像することができます。それが、アンティディルヴィアンという、ノアの洪水の直前に生きていた人々の姿なのだそうです。彼らは非常に堕落した“虚心の人間”だったのであり、その様な状況があったからこそ、ノアの洪水という、いわゆる“最後の審判”が下されたのだと、著者は主張します。
良心の補完的役割
同書においては、私たちにもなじみ深い”良心”について、その誕生の経緯についても書き記されています。アダムの時代からの、人々の内的状態の変化を見ていきますと、はじめは“意志と認識 ”が一致した状態であったのが、その後、霊的知覚が失われることにより、それが分裂するという事がありました。そして、“低い善”を繰り返し選択することにより、徐々にその精神性は低下していき、最終的には、アンティディルヴィアンという、非常に堕落した状態にまで零落します。その頃の人々の社会は、腐敗のどん底であったわけですが、もう一つ大きなポイントがありまして、実は“意志と認識”が一致した状態にもなっていたのだそうです。それも、アダムの時代におけるそれとは正反対に、憎しみや悪への“意志”と、虚心や偽りという“認識”が、一致した状態であったのです。アダムの時代の人々は、愛と善行が“意志”と、信と真理が”認識”と一致していたわけで、まさに正反対の、好ましくない傾向において一致していたわけです。
そこで、その様な状態、つまり、非常に腐敗した状態を改善させるために“良心”が誕生したのだそうです。この事については、私は、神の深遠なる御配慮が働いたものと理解していますが、それが生まれた事により、認識と悪い意志が切り離されました。例えば、人を憎むという“認識”と、殺してしまおうという“意志”が結び付けば犯罪になるわけですが、良心が誕生した事により、この二つが切り離されたのです。
霊と人間の関わりについて
肉体を有している人間は、善霊と悪霊の両方の影響を受けながら生きているのだそうです。そして、どの様な霊の影響を受けるかはその人間次第なのであり、そこに、その人間の選択の自由があるとのこと。この事から、例えば、低俗なことばかりを考えている人は、同じ様な低俗な霊の影響を受けているのであるし、また、低俗な霊を興奮させ、引き付けているという事がわかります。そして、その様な、相互の作用が繰り返されたならば、状態は、ますます悪くなって行く事が考えられる筈です。
それでは、私たちは、自らの内面を好ましいものにしていく為には、どの様な心構えで生活していく事が望ましいのでしょうか。
死後どうなるかは自分次第
著者は、霊的な心の開け具合が、その人間が死後に住む世界を決めると書き述しています。それでは、霊的な窓が開いた状態とは、どのような状態の事を指すのでしょうか。それは、霊的な真理・自然界の秩序に通じ、それに素直に従い、生活を送ることなのだそうです。そして、もっとも根本的なことは、自らの内面を「直ぐなる心」で満たす事である、著者は説きます。
それでは最後に、同書から、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。
①かつて、人間は霊的真理・自然の法則に精通していたのであり、それに従って生活していた。そして、大人はみな霊能を持っていたのであるし、子供には、霊的真理に精通するレベルまでの教育が行われていた。彼らは、自然を破壊することなく、自然と共生していた。
②私たち現代人も、霊的真理・自然の法則に精通し、それに従って生きることが可能なのではないだろうか。そうすることにより、現在よりも豊かな精神性、充足感を得ることができるのではないだろうか。
③人間は、善霊と悪霊、その両方の影響を受けて生きているのであり、そのどちらの影響を多く受け生涯を送るかにより、死後に住む世界が決まる。
④私たちには、自由意志・選択の自由が供されているが、愛や善意のある気持でいることを常に心がけ、実際に善行を実行することにより、善霊とのつながりが生まれる。
⑤善霊とのつながりを得る事、霊的な心を開く事が、私たちの求めている精神的な豊かさや心的な充足感につながるものではないのだろうか。私たちは、それを得るために“愛や善意のある気持”でいることを心がけていくべきなのではないだろうか。
今回は以上になります。同書を読みまして、その内容について、そして、それが18世紀頃を生きた著者により執筆されたことを知り、私は、二重に衝撃を受けたのでした。著者が生涯を送った時代は、丁度、日本では江戸時代であったわけですが、訳者の力もあり、とても読みやすいものになっています。また、霊的真理に関する記述について、シルバーバーチ霊がハンネンスワッファー・ホームサークルで語られた内容と、符合する点が多いことにも気付かされたのでした。それは、霊的真理はいつの時代においても不変のなのであり、両者の伝える霊的世界は、本質的に同じものであるという事です。私は、両方を読むことにより、それぞれの視点から、同じ霊的真理にふれるという、その様な幸運に恵まれたのでした。なお、本記事で取り上げました内容は『スウェデンボルグの霊界からの手記』上中下三巻の一部分を元に構成されています。もしご興味を持たれましたら、ぜひ読まれてください。